vol.33 「LINKIN PARK」チェスターの件 Part2
何というか、今思うことを記すことに意味があると思い、今に至る。
本日、そして昨日11/4と11/2に幕張メッセにて予定されていた
ONE OK ROCKとのLIVE。
リアルタイムで、長年に渡って好きな、そして世界的にトップを走っているバンドのメンバーのこういったことは、初めて体感した。
原因はおおよそ報道されている通りと仮定しよう。しかし、まだ腑に落ちないのが、正直なところだ。
きっとカートのときも、多くの人々が同じ感情を抱いたのではないかと想像する。
才能があり、且つ周りの人に恵まれ、売れる人というのはご存知の通り、ごく僅かである。
そんな一見、誰もが羨む状況においても、人は闇を抱えて、自ら命を絶つ。それが大きく印象に残った。そう、疑問が多くを占める。
なぜその必要があったのか。なぜそんな羨む”スター”な立場にもあるにもかかわらず。
外から見ている側からすると、なかなか同じ目線で考えることが難しい。
計り知れない重圧があったと容易に想像できるし、容易に書けるが、そんなものではないのだろう。
音楽は、命を削っているようなもの。
それを、拝受するから力があるのかしれない。
そう、思う。そう思えたことが、唯一の救いである。
何のために生き続ける必要があるのか。
それを問われたら、なんと答えるだろうか。
人生の目的は、長生きすることではない。
長生きして、何かしたい目的があるから、人は長く生きる。もしくは長く生きていると発生する希望の可能性に賭けていることも多いだろう。
唯一無二の歌声。シーンに大きな損失。
綺麗で繊細な歌声ー
轟く凄いシャウトー
これは、外からの感想及び所感であり、彼の意見ではない。
彼の目線で、モノゴトを見ようとしない限り、きっとずっとモヤモヤした気持ちのままであると気づいた。
消えては生まれての繰り返しの中で、残り続けるものは何か。それがきっと核心であり、光なんだと思う。
何が見えて、何を感じて、何をするのか。
曲に落とし込む。
酒を浴びるほど飲む。
旅に出る。
音楽を聴く。
さよならを言う。
あまりにも重い知らせからくる避けられない混沌から次に進むには、やはり音楽しかないのだと思う。
ありがとう。